プロレス好きは、だいたい友達!

プロレス好きが高じて、柔術、グラップリングに取り組む筆者が、プロレスの見方、知識、哲学を綴ります。全人類がプロレス好きになることが目的です。

プロレスはリアル?フェイク?超人気ホラー作品から考えてみる

プロレスの歴史は、街頭テレビから始まりました。

街頭テレビに人々が集まり、画面のむこうのレスラーの熱い戦いに大きな声援を送り、

明日生きる力を与えられたのでした。

戦後の日本国中に大きな夢と希望を与えたのはプロレスでした。

それから世の中の発展とともにプロレスは進化を遂げてきて、ここにきて新日本プロレスは過去最高ともいわれる盛り上がりを見せています。

アイドルのドラマとタイアップしたり、カードゲーム会社のたゆまぬマーケティング活動によって、一般の人々にもプロレスは浸透してきました。

もはや、一部のコアな人たちのものではなく、老若男女、様々な人がプロレスの会場に足を運んでいます。

つい最近も、トップレスラーの交際が報道されましたが、トップレスラーはスーパースターでなくてはならないし、強い男がスポットライトを浴びなくてはいけません。

 

プロレスが背負う、永遠の呪縛?

さて、そんなプロレスが背負う呪縛があります。

もう例えば10人の人が集まり、プロレスの話題になったら必ずこの言葉をいう人はいるでしょう。

プロレスファンであるあなたもきっとこんなことを言われたことがあるでしょう。

昔は、元レフリーがこのことを話題にした本を出版し、話題になりました。

 

「プロレスって八百長なんでしょ?」

 

はい、出ましたこの言葉!

きっと、プロレスの話題が盛り上がるのが面白くないのでしょう。

プロレスが脚光を浴びるのがそんなにも気に入らないのでしょうか?

決まり文句のように、「勝敗決まってるんでしょ?」とか、

「台本あるんでしょ?」このように聞いてきます。

そもそも、私が知るわけないじゃん!というところでも若干イラッとするのですが(笑)

今日はそんな、「永遠の呪縛」に対する私なりの答えを綴りたいと思っています。

 

 

ここで、プロレス以外に大変参考になるジャンルがあるのでその話を。

 

 

ホラーファンに超人気!「ほんとうにあった呪いのビデオ」

「ほんとうにあった呪いのビデオ」をご覧になったことはありますか?

TSUTAYAなどでレンタルされているホラー作品なのですが、めちゃくちゃ人気なんです。

私の周りでもファンはたくさんいますし、「金字塔」と呼べる歴史ある作品です。

これは一般の人が撮影した様々な心霊映像を紹介する作品で、一本の作品につき単発で映像を紹介したものが6つほど、そしてドキュメンタリー形式で映像にまつわる不可思議な出来事を記録したものが2つ、計8つほどの映像が収められています。

それがもう75までリリースされています。

夏によくテレビで心霊特集ってやると思います。(今は少なくなりましたが)

番組内に映像特集があるのですが、実はそのほとんどがこの作品からの出展だったりしますw

そして時代がどんどん変わっていくように、映像を収めるアイテムも変わっていくのが面白いです。

昔はホームビデオで撮影した映像が大半だったものが、スマホになり、最近ではGoproや、ドローンでの心霊映像も収録されています。

私は大好きでよく借りて観ています。

 

プロレスと、「呪いのビデオ」の共通点

なぜに、プロレスの話をしたあと、呪いのビデオに話が移るのか。

理由は、この二つには共通点があるからです。

 

理由はそう「フェイクなのかを気にする人がいる」という点です。

つまり、冒頭の八百長問題です。

呪いのビデオに対しても必ずそういうことをいう人がいます。

「これは作り物なんじゃないか」とか「合成だろ」と。

 

フェイクか、リアルか、そんなことはどっちでもいい!

私の答えは「どっちでもいい!」です。

んな雑なこと、と思われるかもしれませんが、事実そう思っています。

どっちでもいいんです、そんなこと。

 

今からその理由を綴っていこうと思いますが、そもそもプロレスを観るのだって、呪いのビデオを観るのだって、「感情が動く」ことが目的だったりゴールだったりすると思っています。

「検証」をしてるんじゃないんです、「感情を動かす」ことをしています。

 

プロレスを観て、凄いと思う、痛そう…と思う、この野郎!と思うことで感情が動いています。

 

呪いのビデオを観て、怖い・・と思う、昔観た怖い映像と重なる・・・

そうやって感情が動く。

 

それでいいと思うんですよね。喜怒哀楽の中の何にせよ感情のスイッチが押され、心が動いていますよね。それでいいじゃないですか。

 

逆にフェイク、台本があるのがいけないってことはあるのでしょうか?

そりゃ、勝負事、競馬やスポーツなどは絶対にいけないですよ。

でもプロレスや呪いのビデオは、第一にエンターテイメントです。

演劇やドラマ、そっちのカテゴリーなので、あってもいいと思っています。

 

フェイクがいけない、台本があるのがいけない、作りものがいけない、

そういう人はドラマなどに対しても「いや、これ台本あるんでしょ」って言いますか?

あるに決まってますよね?でも面白いものは面白いですし、感動するものは感動しますよ。フェイクかどうか、そんなところじゃないですよ。

 

「リアルかフェイクか」より「面白いか、面白くないか」

 検証しても面白くないですよ。

「リアルかフェイクか」より、「面白いか、面白くないか」を基準に観てみてください。

面白いっていうニュアンスのなかには「喜怒哀楽」や驚き、恐怖も含めてですけど。

 

プロレスラーなんて超人ですよ。100㌔以上の大男が跳んで、エグイ角度で落とされても立ち上がる。そんなタフな試合を年間150試合以上行う。

凄くないわけないじゃないですか。

 

呪いのビデオだって、カメラが切り替わった瞬間、背後に女が立っていたら怖いですよ。

首のない人間が追っかけてきたら怖いですよ。理屈なんてないです。

シンプルに面白いか、面白くないかだけを考えればいいのではないでしょうか。

なので、これは一概には言えませんが、プロレスを楽しめる人は呪いのビデオも楽しめますし、呪いのビデオを楽しく観れる人はプロレスもきっと楽しく観れるはずです。

(好みは分かれますけどねw)

 

「リアルかどうか」こだわっていると、どこかで切なくなることがある

いかがだったでしょうか。

何に対しても「リアルかどうか」にこだわっていると、どこかで切なくなる瞬間が訪れます。リアルという言葉の中には、現実という意味も含んでいますが、現実だけ見るのって辛いですよね?そうじゃなくて、リアルなのかはわからないけど、単純に面白い。

リアルかフェイクかを超越したところに存在するものが人の心を動かします。

 

どっちが正しいとかじゃないですよ。どっちも正しいんだと思います。